学校はしあわせをわかち合える場所

道教組に加入する先生がこんな話をしてくれました。

私の家庭は幼い頃とても複雑で、両親を尊敬したり家族愛というのとは縁遠い暮らしをしていました。そんな中で、私にとっての「学校の先生」はまさに生きる希望でした。親戚や地域の知り合いも少ない私には、信頼できる大人は学校の先生しかいませんでした。だから、学校の先生になろうと思ったんです。

そう。子どもたちが生きるということは、学ぶことであり、その場所にいる「学校の先生」とどのような時間を過ごすのかということであると思うのです。

子どもたちにとって最も身近な存在で、彼らの人生に働きかける「学校の先生」という仕事は、決してひとりではできるものではありません。そういう意味では、「学校の先生『たち』」というのが実態に合った言い方かもしれません。

学校の先生たちが力合わせをするために

コロナ禍が始まったばかりの頃、道教組では「学校という場所の意味」を考え合いました。オンラインで学習会で子どもたちの声をもとに知恵を寄せ合い、コロナ禍の学校づくりについての提言をまとめています。

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提言「子どもたちが生き生きと学べるコロナ収束後の学校づくりを」 みんなが考えさせられた「学校」という場所の意味 4月、始業式。約40日間の臨時休校を終え、子どもたちは新しい学年に不安と期待を持ちながら学校に帰ってきました。 小学校5年生に進級した子が、新学期に次のような詩を書いてくれました。

この中で、学校は人と人が信頼を寄せ合い安心して暮らし合える共同体 という言い方をしています。そのためには、先生方が力合わせできる環境にあることが何より大切です。

もちろん職場のあり方を決める要素は様々です。管理職の姿勢や、その場に集う教職員のみなさんがもつ雰囲気、職場風土などがあるでしょう。そうした中で、決して目立ちはしませんが、存在感を発揮するのが教職員組合です。

教職員組合には、長い歴史の中で培ってきた教育条理があって、そのひとつには、職場づくりのための力合わせという考え方があります。職場のみんなが気持ちよく働くことができるようつないだり、紐解いたりする…そんなところを得意とします。

教職員組合の集まりが豊かな職場は、居心地がいいことが多いです。でも、教職員組合は縁の下の力持ち的な動きをすることが多く、「まるで『空気』のよう」となってしまうこともあります。

だからこそ、知ってほしい!教職員組合のこと!

「学校の先生」として、余暇の時間をどんなふうに過ごしますか?

地域のスポーツサークルや文化的な集まりに集う

自分磨きのためにメイクやファッションに時間をかける

もう疲れまくってるからいつも休んでる

…などなどいろいろあると思います。

そんな余暇の過ごし方の選択肢のひとつに「教職員組合」があるということ、知ってほしいのです。

先生方のつながりをつくり、願いを共に実現する。
そんな集まりが教職員組合。

私たち道教組は、教職員組合を知ってもらい、共に集う仲間となってもらえるようにSNSで情報発信を進めています。