個人戦にしないための力合わせを

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「教職員組合は誰のために存在するのか」―――

それは、子どもたちのためなのではないでしょうか。

先生方が心身ともに元気に笑顔で教育活動に向かうコトができたなら、それは子どもにとってしあわせなコトであるはずだからです。

教職員組合はそのために知恵や工夫を出し合ったり、場づくり、力合わせをしたりします。

しかしながら、こんな声が聞こえてくるのも事実です。

職場に組合の仲間が自分しかいない「ひとり分会」なのでなかなか元気が出ないんです。

業務が多すぎてなかなか分会会議や支部会議に行けないんです

決して「集まらなくても大丈夫」というわけではありません。

困っていないかというとそういうわけではないのは言うまでもありません。


道内のある地域の教職員組合では、春休みになる直前の本部会議で「今年の組合運動、大事にしたいことはなんだろう」と話していたときのことです。

「個人戦にしない」というキーワードが、ふと思いつきました。

私たちが大切にしている「協力・共同の学校づくり」というものをはじめとする教育条理や、力合わせなど職場づくりに欠かせない意識が、学校や、分会などで個人まかせになっていないかということです。

もちろん、職場のひとりの先生してできることをやっていく、そのための思いはとても大切なことです。

「作業をしていて大変そうな先生がいたら『大丈夫?』って声をかける」

「『子どもたちにとって何が一番最善なのか』という意識で物事を考え合う」

「学校で、民主的にものごとが進むように気を配っている」

教職員組合運動に集って学ぶと、こうした気遣いや心配りの意識が身に付きます。なぜなら、大先輩がずっと昔から実践してきた「文化」だからです。

一方で、こうした意識を、教職員集団として、あるいは教職員組合としてみんなで持ち合いたいものですが、個々人の意識やキャラクターだけに頼ってしまっていないかということです。


長い歴史のうえにある教職員組合運動には、教訓がたくさんあります。昔、組合のリーダーを長く担ってきた大先輩が笑いながら、昔の自分を振り返って教えてくれました。

自分が市町村の代表として、管内的な会議に参加したときのことを今でも思い出すんだ。教育会館の大会議室で、白熱した議論を聞きながら一生懸命に考えて、委員長が「バキッ」とまとめをしたときにはすごくわかったような気がする。自分の家に帰り着くまで運転しながら会議を思い出すんだけど、自分の街の仲間に会議の様子を伝えるときには、なんとなくうまく話せないんだよ。困ったもんだよねぇ。

こうして教職員組合運動はたくさんの大先輩の教訓によって成り立ってきました。ものすごい大先輩の実践家だった先生も苦労しながら、気遣いと心配りの実践を通して教職員組合運動を組織し、学校では教育実践を進めてきたのでしょう。

最近は道教組として、コミュニティ・オーガナイジングの手法を取り入れた運動づくりにも取り組んでいます。「方法論を学ぶ」とみえがちで敬遠されてしまうことがありますが、歴史的な運動とコミュニティ・オーガナイジングの手法を取り入れた運動に共通するのは、集う人々の願いがあるということです。三上先生が組合に加入するまでのお話には、コミュニティ・オーガナイジングで学ぶ手法があちこちに散りばめられています。こうして、教職員組合は現代的にアップデートしています。

学校が忙しくて、やることがいっぱいで、そんな悲鳴にも似た声の中で、民主的でみんなが考え合う力合わせをどう大切にしていくのか。教職員組合運動としては、個人として社会情勢に課題意識をもつだけでなく、その課題意識を広めていくことを大切にしていかなければならない・・・そう感じています。

教職員組合に集う私たちは、ひとつひとつの職場で気遣いと心配りをしながら、子どもたちのためになるよう力合わせを進めています。

こうして、個人戦ではない、少しでも力合わせをして教職員組合運動を豊かに創っていくことを大切にしたいと、年度末の節目に思うのです。