私たちは、仲間を増やしていく
道教組では、新年度スタートの節目に、身近な教育関係者のみなさんと対話や懇談をする取り組みをすすめています。
学校に何人か組合に加入する先生がいる職場では校長先生と、教職員組合と教育委員会のつながりができている市町村では教育長さんと、新年度スタートに際して大切にしたい学校づくりの考え方などを懇談する取り組みをしています。
春の懇談で本質がみえる
こんなエピソードを聞きました。いずれも、小さな分会での出来事です。教職員組合として資料を作って、着任されたばかりの校長先生と懇談をしたときのことです。
「先生方はよく『力合わせ』っていう言葉を使うよね。正直、組合以外でもよく聞くからほかで聞いてもいいんだけど、それってどういう意味か教えてくれないか?」
分会長の先生は、
教職員組合の機関紙に書いてあった説明を覚えていて、機関紙を手渡して緊張しながらもなんとか説明できました
と、機関紙のありがたみを話してくれました。
また、別のある分会でも
「この地域の先生方って何人くらいいるの? そのうち組合員はどれくらい?」
と質問されたそうです。
なんとなくしかわかっていなかったので、予想外の質問にもう冷や汗ものでした。
分会長の先生は、そんなふうに教えてくれました。
学校の先生の仕事って、「職人技」みたいな部分がけっこうあるなぁと思いませんか?
「何を大事にしているか」という考え方についても、その人なりの深い思考とか、しかもそれは聞かないとわからないこともあったりすることもしばしばです。
「聞かないとわからないこと」って、毎日の学校での仕事(生活)を過ごしていると、案外見過ごしがちなのかもしれません。
ふと、
って聞くことができる機会なんかがあれば、
ってなって、本質を確かめられたりして、貴重な機会となるのです。それは同じ職員室の先生同士でもそうだし、教育関係者の懇談でも同じなのだと思います。
空気のような教育文化
学校という場所には、こうした「改めて聞きたくなる、当たり前のコト」というのがよくあります。
たとえどんなに大切な教育条理や文化でも、それがきちんと継承されていかないとなくなってしまいます。
よく、教職員組合は「まるで空気のように当たり前にある」と言われることがありますが、当たり前にあることにあぐらをかいていては、それは本当に空気のようにただよって、いつかなくなってしまうでしょう。
私たちは教職員組合に集う仲間を増やしていく
今から5年ほどまえ、全国の会議でこんなふうに経験談を話している先生がいました。
私たち道教組は、この言葉をキャッチフレーズ的にしてしまってはいけないと考えました。
仲間と集い運動を共に創っていきながら、新たな仲間も迎えることで、教職員組合運動を元気に、太くたくましくしていくためのを意識し合って、教職員組合運動を進めたいと考えました。
たとえ「まるで空気のよう」であっても、大切な教育文化があるのだからその共感を広げることで、学校は子どもにとっても先生にとっても、しあわせな場所であり続ける―――そう信じています。
そのために、教職員組合は集う仲間を増やし、教育を語りよりよくする取り組みを進めます。